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のんびりといえば聞こえはいいが単にぐうたら、なのです
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 人の命、、、②。デスコミュニケーションということ。
2006年01月19日 (木) | 編集 |
父の状況が予断を許さないので、忙しい姉が(自宅と病院が少し近いこともあって。)、仕事の合間を縫ってと夜に付き添ってくれています。昨日は、黄疸と肝機能障害がでてきたそう。今日からさらに肝臓への治療(点滴治療)も追加されます。

長男(ふう)は、結構父に世話になりました。
私の母は既に他界しており、(ふう)が病気になって続けて保育園を休む時など、朝4時位に急遽私がヘルプの電話をかけると、文句も言わずに、バス、電車、バスを乗り継いで、冬でもやってきてくれました。マイペースであまり物事やその場の雰囲気を気にしない性質で、時にはイライラさせられることもあったけど、一緒に居て居心地のよい人でした。だから、小さい子供でも、二人だけでお留守番するのにすっとなじめたのでしょう。。。

病院にいてくれる姉によると、まだしゃべれるけど、家族の顔と看護士さんの見分けもつかなくなっているそうです。眠りについている時間が多くなってきたようです。
私は、父の声が聞ける内に(ふう)をそばに連れていってやりたいと思い、明日の夜に連れて行くつもりにしています。

その上で。悲しいことですが、(ふう)に出来るだけ、「お別れの瞬間」に立ち会ってもらいたいと願っています。

目の前で人が死ぬ その瞬間。
肉親が命を亡くすということ。

まだ、死生感をつけるには早すぎる7歳の子供には大変ショックなことかもしれませんが、
そこから何かを学び取って欲しいと思います。
はっきりわからなくても、感じるだけでも。

じいじ(父)が彼にしてやれる、最後のお世話だと思うのです。




同じ事を姉も考えていたようで、自分の子供達にもその瞬間に間に合って欲しいと姉からメールをもらいました。彼女は、仕事でもありますが、介護のことや精神カウンセリングに大変興味を持っていて、セミナーや各種勉強会、研修会に積極的に参加しています。そういうところで教わったそうですが
死にゆく人の最後の瞬間に立ち会うことを

デス・コミュニケーション

というのだそうです。
悲しいけれど、その悲しみも含めて、ほんとに貴重な、何事にも変えがたい
コミュニケーションだと思います。
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