のんびりといえば聞こえはいいが単にぐうたら、なのです
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 昨日に寄せて
2015年01月18日 (日) | 編集 |
新年あけましておめでとうございます。

なんてようやく書いた今日は、忘れもしない阪神淡路大震災から20年。の翌日……orz
この記事、昨日書き始めたんですが結局書ききれず、色々ものすごい今さら感です本当に
ごめんなさい。

昨日は、夜が明ける前から20年という節目の年もあってか、震災関連の特集番組が多く、夜中に目が覚めてなんとはなしに観ているうちに、あの朝のことを思い出して大変感傷的になってしまった一日だったような気がします。

前日が友人の結婚式の翌日だったのかな、確か。結婚式の後親戚の家に一泊して震災の前日、夜遅く駅に向かう途中、夜空に浮かんだ月の色が奇妙に赤かった記憶があります。その日(前日)は、新婚の友人夫妻が新婚旅行に旅立つ日だったので、「なんだか不吉やなぁ、無事に新婚旅行楽しめるといいけど」と友人の心配をしていましたが、まさか、翌朝にあんな天変地異が起こるとは。

1月17日、午前5時46分 阪神淡路大震災発生。

私は、倒れてきた洋服ダンスの中にすっぽり入っていました。(実際にそのことに気が付いたのはかなり後になってからですが)。体中を何か大量の毛布のようなもの(衣類でしたがすぐにはわからなかった)に押さえつけられ、何が何だか訳がわからぬまま揺られていました。
うちはマンションの2階だったのに、不思議なことになぜか直接地面に押さえつけられているような錯覚に陥っていました。
そしてその地面の下数メートルのところに巨大な地下道があり、ノッシノッシぐわんぐわんと、足元の方角はるか遠くから、巨人(どんな巨人かはわかりませんでしたが)が歩いてくる、そんな錯覚の続きを脳裏に鮮明に描いていました。
そして巨人が私の真下をゆっくり通り過ぎ、頭の向こうに地響きを鳴らし地面を揺らしながら、歩き去っていくまでの長かったこと。ただ、その歩み(地鳴り)がとても定間隔だったせいか、一緒に揺れながらなぜか頭のどこかが奇妙に冷静になって、ふと、数年前に亡くなって他家の墓に入っている母親の骨も、一緒に今揺れてるんだなあ……と変な感慨に耽っていました。多分、”地面の下”というイメージが共通項になったのでしょう。
地震のその瞬間のことを思い出そうとすると、今でも、なぜか見たことのない母の眠る墓と、その骨がセットになって想起されてしまうんですが、震災の話題になっても他人様への話題にもしづらく、さりとてどうしても「地震・お墓・母の骨」という3点セットが頭に巡ってしまってもやもやするのを、20年の節目に便乗してここに書いたので、これからはもやもやしないようになるかな(笑)

ところで、話は飛びますが、今の私は、大抵毎週土曜日に次男マルツをスイミングに連れて行き、待ち時間の間に、近くの有名神社の参道入口にあるスーパーと、美味しいコロッケで有名なお肉屋さんと、必要があれば駅前のコープで買い足しをして、図書館に向かいます。
昨日も、スーパーで買い物をしてお肉屋さんに回り……、ふと、途中にある小さな神社の鳥居をくぐりました。
長年、横を通り過ぎるだけでなんとなく胡散臭く感じて特に足を向けることもなく通り過ぎていたのですが。
震災の番組で、祈りに手を合わせる方々を多く観たせいか、せっかくだから、こちらでお参りをさせてもらおうかと。

びっくりしたのは、その鳥居をくぐって賽銭箱の前に立った時、今までにない清々しさを感じたこと。
寒かったせいもあるのでしょうが、なんとも言えない透明な空気がすっと体に満ちた気がしました。

(鳥居横に”日本最初平和招福萬霊殿”とあります)※クリックすると拡大します。


萬霊殿という言葉を見て、ああ、被災したのは人だけじゃなかった、犠牲にあったペットも大勢いたと思い出して、ここにお参りに入ろうという気になったのもただの偶然ではなかったような気持ちを強くしました。

お賽銭箱の前に、机が置いてあり、左から、ヒトガタ供養のセット、写真の「厄除け祈願 初穂米」、右端には伊勢神宮のお札(1000円)が積まれていました。
(お札代は賽銭箱に入れてくださいと添え書きあり)





普段、人気(ひとけ)を見ることもなく放置されてる神社(隣には大きめの社務所もありましたが)のイメージがあったので、たとえ数がすくなくてもお参りに来た人に、ご利益の持ち帰りがあるようにという工夫にとても好感がもてて、これまでの非礼を詫びつつ、被災者の方、私と普段つながってくださる方々、そのご家族、お友達、大切にされているペットの動物たち、すべてに、これから少しでも明るい未来をと、賽銭箱に1000円を入れて、鈴を鳴らし手を合わせました。

なので、これを読んでくださるあなたの未来も明るい筈!(笑)

そして、図書館にはやはり震災のコーナーが大きく設置されていて、そこからこんな一冊を借りてきました。

「ダックス先生 最後の授業~阪神大震災をくぐりぬけて~」 ←アマゾンのページ飛びます。
無題
「あのね帳」というノートを通じて、震災前から悩みを抱えていた子どもや、震災で被災した子どもの心をすくいあげた神戸の元小学校教諭の書かれた本です。

「あのね帳」に子どもが書いた詩がいっぱい載っていて、心を打たれます。

『1月17日』
2年あおきさち

じしんでものがこわれる音がして目がさめたら、お母さんのうでの中でつつまれていた。
お父さんはタンスのしたじきになっていた。
おねえちゃんがなにもなかったので、あわててタンスをのけて、お父さんをたすけた。
こわかったので、わたしとおねえちゃんは、おしいれの中にはいってたけど、ふるえがとまらなかった。
家のなかにいたらあぶないので、あわてて外にひなんしたよ。
外にでたら、お父さんのかおが、おばけになっていた。

この詩の後に、この子のお母さんが長年癌と闘っていること、「お母さんにつつまれていた」というその表現がお母さんの悲壮な思いを象徴していると感じて涙が止まらなかったと、著者のダックス先生が解説されています。
それを知って読み返すと最後の「お父さんのかおがおばけになっていた」という言葉が更に胸に迫ります。
そして、あの日、あの後、「おばけになっているかお」を、私もいっぱいみました。

東日本大震災も経て、願わくは、こんな「おばけのかお」のお父さんがもうこれ以上増えませんようにと、昨日頂いてきた伊勢神宮のお札に祈るばかりの、そんな2015.1.17 でした。
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